なんて残酷で無慈悲で最低な、言葉。

はらはらと、零れ落ちる




 美しく清められた慰霊碑の、足元の石畳だけがざらざらと砂に塗れているのはそこを訪れる者が立ち去る時に落していく未練と悔恨の結晶のようなものだろう。
 足裏の、砂粒をざりざりと踏んで立つしかないカカシ自身も、きっと誰かに踏みつけられる無数の砂粒をこれから先ずっとそこに落していく。


 辺りに人気はなく、夕闇が近付いていた。
 赤い陽の色は、遠くの黒い山影の上に薄く刷かれて消える寸前だ。
 冷たく冷えた風が、足もとの砂粒を徒に転がしていく。


 真新しく慰霊碑に刻まれた文字は、石の下の方にあり、忍びの目で見ても、陰になって確認できない。そこに指で触れて確かめることもできず、カカシはただそこに立ち竦んでいた。ポケットに手を突っ込んで、触れもしない慰霊碑を見下ろしていた。


 ざらざらと石畳の上で転がる砂の音は、ひとの声にも似ていた。
 不快で、何の価値もないところが似ている。
 最近よく掛けられる言葉。大丈夫ですか、という問いかけにとてもよく似ている。


 大丈夫なのか、という音の集まりは誰かを案じる気持ちを表す真っ当な言葉だ。けれど、カカシはその言葉が大嫌いだ。
軽い怪我、ちょっとした不幸に見舞われた相手に掛けるならば、思いやりに溢れ真摯な言葉だけれど、一番大切な人間を喪った相手に掛ける言葉として、これほど残酷で無遠慮な言葉はない。
 カカシは今、毎日そう思っている。


 ――――大丈夫か?
 好きだった人に逝かれて、大丈夫な訳がないだろう。
 なんて残酷で無慈悲で最低な、言葉。





 慰霊碑に刻まれた名前。
 一番最後に刻まれた名前。

 うみのイルカ。

 ―――ずっと好きだった人だ。愛し愛された初めてのひと。恋人にはなれたばかりだった。人と本当に触れ合うという意味は彼が教えてくれた。
彼が好き過ぎて、カカシは長い間、告白なんてしたくてもできなかった。任務漬け、小さな世界で生きてきた自分のなかでは、この恋がきっと最後だと思い、毎日精一杯、彼に好かれようとそればかり考えて過ごした。もし、想いを伝えて困った顔をされたらそれだけで、心臓が止まるに違いないと思った。自分の中で一番大事なところにその気持ちはあった。
 だから思いがけず、その気持が通じ、同じように返されて、息がとまるほど嬉しくて。
 幸福だった。
 もう死んでもいいと本気で思った。
 死ぬのは自分で、決して彼ではない筈だった。




 戦闘での、殉職?
 ―――なんだよ、それ。




 伝えてくれたのは、彼の同僚だった。
 カカシが昏々と7日間眠っている間に、イルカの葬儀は済んでいた。
 亡骸はどこかの土の下だそうだ。墓はない。


 その戦闘には自分も投入されていた。いつものように途中でチャクラが切れた。いつものように病院に放り込まれて、何もかもいつもと変わりないと勝手に思っていた。
 あのひとを助けられなかった。同じ場所にいたのに。多分、近くにいたのに。自分は里の為に最善を尽くした。一番効率よく動いた。そうやって里を助けた。父と、恩師と、親友の遺志は絶対だと思って。でも、代わりにあのひとは死んだ。死なせてしまった。


 白い天井を見ながら、ぼんやりと事態を把握した。
 理解するのに、3日掛った。
 

 あの人が、好きだって言ってくれたのはつい、この間のことで。
まだ、長い片思いの時間の百万分の1も過ぎてない短い時間しか経ってない。


 教え子達の授業で使う、クナイの刃潰しを手伝わされたのは2週間前の夜だった。
 たくさんキスをしたのはその後。
 しているうちに堪らなくなって、耳を噛んだら怒られた。その後の、自分を受け入れる準備ばかり熱心にしていたカカシの即物的なやり方は怒らなかった。
 交互に指を絡ませるように手をつないで、ひとつに溶けたときはちょっと怒った。
 こんなの、ずるい、と訴えた時の涙眼が可愛かった。
 ずるい、の意味はまだ聞いていないままだ。



「大丈夫ですか」



 最初にそう口にしたのは彼の同僚だったかもしれない。


 大丈夫?


 それ以来、誰も彼も自分にそう言葉を掛ける。
 カカシは、いまだ何も答えられない。
 今度聞く筈だったイルカの、ずるいの意味を聞けずにいるように。


 大丈夫、だなんて言えない。絶対に言えない。そんな非現実的な返事一生言えやしない。あのひとが居ない時間がこれから先、怖いくらいに長い間、続いていくなんてこと、納得して受け入れられる筈がない。


 かといって、大丈夫じゃない、と素直に吐露することもできないのだ。
 言えば、言うだけ辛い。血を流す傷口をクナイで抉っているような気分だ。
 あの人がいない、みじめで、さみしい気持ちを、他人にひけらかすほど恥知らずでもなく、他人に憐れまれる筋合いもない。喪ったのは自分で、悲しいのも辛いのも死にたいのも、もう終わりたいのも自分で、お前らではないだろうと怒りが湧くならまだしも、―――何もない自分に、ただ絶望がいや増す。





 カカシは、地獄にひとり取り残された。
 そして、身動きとれずに、ただ目の前の冷たい石を見つめることしかできないのだ。


 生きていても希望がない、なんて本気で言ったら笑って否定してくれるであろう大切な恋人を失った。だから自分は生きていても本当に希望がないのだ。だからいつかおかしくなって死ぬんだ、とカカシは思った。
 けれど、里の為に生きるという誓いはカカシを縛り、そんなことにはならないだろうとも思った。
 もう、どれが正しいのかも、よくわからない。


 大丈夫か、と問われる度に、返してくれ、と叶わないことを声を限りに叫び散らしたい。喚きたい。喚き散らしたかった。あのひとをオレから奪った何かに、誰かに。


 ―――ねえ、あなたなら、こんな時どう言うの。イルカ先生。
 きっともっと違った言い方をするんじゃないの?
 それが知りたい。それしか知りたくない。―――痛切に思う。それしか聞きたくない。もう何も聞きたくない。だから何か言って。声を聞かせて。

 何も言ってくれないのは、土の下で眠ってるせいなんだと、手の届かない場所にもう行ってしまったからだと、何度も何度も突き付けないでよ。
 ねえ、意地悪しないで。帰って来て。


 熱をもった目元が水滴を溢れさせ、カカシの足元の石畳を濡らした。
自分で砂利と一緒に足先で踏み拉いて消した。
 子供の頃以来の嗚咽は、夕暮れの風に溶けて、多分もう誰にも届かないことをカカシは知っていた。







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