二度目の告白




狂おしい激情は、その貌のどこにも見あたらない。
けれど、その裡に何より激しく燃え盛っているのをもう知っている。

軽妙な明るさを装い隣に並び、こちらの話に懐かしむような、ひとの懐に滑り込むような笑みを浮かべ。
イルカの心をどうにかして搦め捕ろうと、駆け引きしているのを、もう知ってしまっている。

そうして、あの日とおなじ調子で、ふいに途切れた会話から態と緊張をはらむ間をあけ―――、
イルカ先生、と彼は小さく呼びかけて、ゆっくりと喉の奥でとまった言葉がせり上がってくるのを待つように、その目を伏せた。
銀色の睫の陰が、ふるりと二度揺れたあと持ち上がり、起こることを自分は知っている。


「ねえ、イルカせんせい、オレと」
ねえ、イルカせんせい、オレと―――――・・・


ひんやりとした陰が射す路地裏に、あの日とおなじ風が吹いていた。









イルカがカカシからの恋の告白に、ノーと答えた翌日、はたけカカシは壊れた。

いや、壊れたというのは語弊があり、正確には「壊した」であった。カカシは壊してしまった。それはそれはあっけなく。
自分のなかのイルカ、という存在を。
自分の手で、完璧に消し去った。

常人ならば、ありえない話だが、カカシは違った。



問題の日から会わない日々が続いたのは、カカシが避けているせいだとイルカは考えていた。
カカシを愛してはいない、という返事は彼の矜持を傷つけたことは想像に難くない。
普通に、気まずい間柄になって、顔も見たくないか。それとも見せられないか。そのせいだろうと高をくくっていたら、元教え子から入院した、と伝えられた。
イルカの状況認識は甘く、想像は現実と大きく掛け離れたものだったらしい。

入院。それもあの翌日からだ。症状は綱手が診ているのだと。そう伝え聞いてほっとした後で、里長が駆り出される状態なのだと気が付いた。しかし、重篤でありかつ極秘ならばカカシの身柄は隔離されるが、カカシは木の葉病院の一室におさまっていた。
どう受け止めればよいのか判断に迷う。
が、時をおかず、イルカが見舞いに行くべきか逡巡している間に、反対に里長から呼び付けられた。
カカシは―――自分で自分の頭をいじったらしい。

激務を負う身で手ずから検査をした五代目火影――最高の医療忍び――の遣いからことの詳細を聞いて、その意味するところを飲み込むとイルカはぞっとした。


病室に案内され、入室したイルカを待ち構えていたのは火影の罵声だった。

「ったく、誰だい、この器用すぎる糞餓鬼に余計な医療忍術を手ほどきしやがったのは!」

 怒声はビリビリと病室の壁を震わせ反響した。綱手は淡いクリーム色の髪を逆立てんばかりに怒って、病床に横たわり上半身だけ起こした治療着姿のカカシと対峙している。

「四代目かい!あのガキの教えか、カカシ!?」

 里長の剣幕を見てイルカは言葉を失うが、カカシはそれを平然と受け流し、後ろ手に頭をかく。

「・・・・・・あー、いいえ、リンのを見て勝手に覚えたんですよ。オレのスリーマンセルの紅一点は、医療忍者だったんです。彼女のチャクラコントロールや気の流れを読んで――・・・何かねえ、なんとなくオレも使えるように?」

「!!! 何となくで、医療忍術会得して自分の脳をいじる馬鹿がどこにいるっ!!! 一歩間違えば廃人、二歩間違えりゃ即死だよ! 今生きてるのがおかしいくらいだ。そんな馬鹿野郎はいっそアタシが今から殺し直してやろうか、ああン!!?」

「えー?勘弁してくださいよー。オレだって、なんで自分がそんな真似したんだか、もう覚えてないんですもん」
 カカシは、困惑した様子で、はぁーっと大仰なため息を清潔なシーツに落としてから、初めて綱手の背後に立ち尽くすイルカを見やった。

「えっと、で、そっちのヒトは?」
 綱手様が呼びつけたんでしょ、とカカシは綱手に言った。
 イルカはカカシの言い様に一瞬肩を揺らして俯く。綱手は二人を見比べてカカシに頭を抱えた。
「・・・・・・覚えてないのかい? イルカはおまえと仲がよかったって話だったんだがね」
「イルカ・・・イルカ・・・? えーと、知りませんけど・・・。仲良くなったのって最近? さっき言ってたあいつらのことと同じ感じです。サスケとか俺の部下って言われても聞き覚えがないし。いや、ナルトのことは前から知ってましたけどね、他の子供らはねぇ」
 まったく分かりません、と答えるカカシに綱手に額を抑える。
「―――やはり、ここ半年分ってことか。ああもう、壊し方がきれい過ぎて更に頭にくるねっ!シロウトが何て大それたことをしやがるんだか!!」
「あー、覚えてませんが、一週間前の俺がどうもすみません。イイ仕事しちゃって」
「馬鹿上忍め、やっぱりぶんなぐったろか!」
使えない駒は要らないんだよ! と張り飛ばす予備動作をした綱手の両腕に、騒ぎを聞き付けてきた他の担当医たちが病室に飛び込んできてわらわらとしがみついて阻止した。
 火影様、相手は患者ですから! そうですよ、医者が患者を重体にさせるのはまずいですよ! と俄然騒がしくなった病室で、カカシは突っ立ってうつむいたまま動かない―――いや、動けないでいるイルカをに視線を向ける。

 ねえ、とカタチよく整った薄い唇が動くのを床をみていたイルカは空気の振動で知る。

「話、五代目から聞いてるかもしれないけど・・・・・聞いてなくても今の会話で、おおよそは見当ついたかもしれないけど。ええと、イルカさんでしたっけ?」
 問いかけにちらりと顔を上げる。カカシの蒼い目は、ぼんやりとイルカをみていた。
 そこには、なんの感情も含まれていないように見えた。
 イルカは、どうしようもなく沸き上がってくる罪悪感を、打ち消そうと必死だった。必死さと裏腹にでる声は落ち着いたものだった。
 
「はい、イルカです」
「オレね、どうやら自分で自分の脳みそ弄くっちゃったらしいのね」
「・・・・医療、忍術を使ったんですね?」
「―――そうみたいね。こうしてうまくやってるし、別に自殺する気はなかったと思うけど、何でか自分の頭壊してまで記憶いじったらしくてね」
「壊、した?」
 不穏な言葉にイルカは顔を上げた。
「そう、記憶を弄るってつまり―――オレは壊しちゃったのね。脳のニューロンぶったぎるために、自分でそこの細胞殺したの。二度と働かないように、思い出せないように」
「・・・・・そんな・・・そんな・・・・---」
 カカシはあっけらかんとして説明を口にしたが、それは本当はとても怖い話だ。
本職の医療忍者でもないカカシが、非常にデリケートな脳を思うさまに弄るなど。
ほんの僅かな時間血流が遮られただけで、半身が麻痺することもある、ほんの一カ所細胞が死滅しただけで重い後遺症が残ることもある、そんな重要な器官をこの男は無造作にいじってしまったというのか。
いや、もちろんこうして見た目は、記憶がないような話以外は障害もなく、まともに見えるからには、それはそれは精密なチャクラコントロールで自らの脳細胞に手を加えたのだろう。それができるほどの緻密で繊細なコントロールを成し遂げられる技能はこの天才ならもっていておかしくない。
けれども、それで済む話なら、綱手はあんなに怒ったりしないはずだ。一歩間違えば、と彼女は言った。今生きてるのがおかしいくらいだとも。
 ―――つまり、どれほど器用に見ただけで医療忍術を使いこなして見せたカカシであっても、それ自体は恐ろしい真似だったということだ。記憶を破壊するなどという愚かさを責める前に、行為自体の危険性ばかりを綱手が口にしているのが何よりの証拠だ。カカシは非常に危うい真似したのだ。
 今こうして、普通に会話できているのが奇跡と呼んで差し支えない程に。

背中にひやりとした汗を掻き、イルカは目を見開いて、一歩下がった。
逃げ出したいと願ったその背中に、医師たちをわかったから離れろ、と振り払い落ち着きを取り戻した綱手の声がかかる。退路がない。

「カカシ、こんな愚かな真似をした時のオマエが書き残して所持していたメモに―――」

とそこでいったん言葉を切り、綱手は続けた。

「書いてあったんだよ」
「・・・・・・綱手様?」

 恐ろしいものを感じ怖々と呼びかけるイルカと綱手の視線は合わない。彼女は難しい顔付きでカカシを見たまま。イルカは綱手に右肩を掴まれて、さっきよりも前方に、カカシの前に引き出された。
 まるで、断罪を受ける罪人のようだ。


「こんな真似をする理由は、イルカに聞けば分かるからと」

 ―――そう、書いてあったんだよ、カカシ。おまえはそれを忘れたかったのかい?


綱手の、皮肉げな声音がイルカの血の気を引かせた。


その罪は、なんだったのだろうか。

愛を返さない代償に、贖うものは? 
―――そして、いったいだれが、それを支払ったのか。












カカシが一度壊れてからまた半年がすぎた。
カカシは、綱手に理由を明かせと言われても結局何も答えられなかった。
イルカも何も言えなかった。
理由――思い当たる理由などイルカにはひとつしかない。
カカシを拒絶した。その恋情を受け取ることを拒んだ。
だってそれは仕方がないことだろう。カカシは男で、しかも里の宝にも匹敵する凄腕の上忍だ。イルカにかまけていていいはずがなかった。
写輪眼への、美しい女達からの誘いは引きも切らない。
その立場を羨むことはあっても、その男から愛されたい思ったことはない。
思えるはずもない。そんなことは考えるべきじゃない。



イルカはカカシから好意をもたれていることには気付いていた。
朴念仁、堅物。――そう呼ばれて久しく、確かに色恋からは遠かった自分にですら、その想いを気付かせるほどに、彼のイルカへの接し方は、恋に浮かされた熱病患者そのものだった。
だからカカシの恋に気付いたのは、カカシの自覚から間もなくのことだ。
それは同時に、応えられない気持ちの押し付けでもあった。

イルカはカカシが好きだ。
好きかと問われれば、なんの逡巡もなく頷き、応と言える。
それはつまり、単にそれだけの軽さしかもたない感情だとも言い換えられた。


カカシはずば抜けて優れた上忍だった。
際だった才能。明晰な頭脳。忍びになるためにだけに生まれたような、特異な身体能力。
イルカは彼を好きだと胸を張って言えるが、それは自分にだけ限ったことではない。
里の大勢の男女が同じことを言うだろう。
ならば、イルカのなかに特別な気持ちは皆無だった。
尊敬は、恋には変わらないと信じていた。

中忍で、日々子供たちを相手に、特段、変わり映えのしない毎日を過ごしていたイルカにとってカカシの存在は、嵐のようなものだ。
その脅威に脅え、けれど興奮を掻き立てられもし、ひどく胸をざわめかされる。
ふいにやってきて、環境をかき乱すけれど、すぐに去る。
一過性のもの。常にはいないもの。
一生嵐の夜は続かない。

だから、出会って半年目の、付き合って欲しい、というカカシの告白にイルカが頷くことはなかった。
友達からでもいい、という愁傷な言葉にも首を降る。
友達の先に行けるとも思えない。
このひとはあまりにも自分の世界から遠いひとだ。
きっとすぐに去っていくにちがいない。いなくなってしまう。置いていかれる自分。
そんな人との恋を想像などできない。

はっきりと断った。
あなたのことをそういう風には思えないから、付き合うことはできません、と。






結果。
カカシは大事な記憶を喪失した。







そして、また同じ半年の日々を数えはじめる。
それはカカシという男の危うい形質を理解したイルカにとって、とても奇妙な光景だった。
過ぎ去った過去の再現なのだ。確かに一度失われたはずの男が、ゆっくりと同じカタチを取り戻し、また息を吹き返し蘇る過程としか呼べないもの。
イルカの前で、カカシは同じ心の動きをイルカに見せつけた。初めはひそやかに、けれど、あきらかに。
あらかじめ決められた唯一の道のように。以前のカカシのそれをなぞるように。
イルカに今度こそ思い知らせるようにして。


半年後には、あの日とまったく同じ気持ちを抱えたあの男がイルカの前に立っていた。


狂おしい激情はその貌のどこにも見あたらない。
けれど、その裡に何より激しく燃え盛っているのをもう知っている。
軽妙な明るさを装い隣に並び、こちらの話に懐かしむような、ひとの懐に滑り込むような笑みを浮かべ。
イルカの心をどうにかして搦め捕ろうと、駆け引きしているのを、もう知ってしまっている。

そうして、あの日とおなじ調子で、ふいに途切れた会話から態と緊張をはらむ間をあけ―――
イルカ先生、と彼は小さく呼びかけて、ゆっくりと喉の奥でとまった言葉がせり上がってくるのを待つように、その目を伏せた。
銀色の睫の陰が、ふるりと二度揺れたあと持ち上がり、起こることを自分は知っている。


「ねえ、イルカせんせい、オレと」
 ねえ、イルカせんせい、オレと―――――・・・



ひんやりとした陰が射す路地裏に、あの日とおなじ風が吹いていた。
違うのはイルカが返さなくてはならない返事だけだ。




「オレと、付き合ってくれませんか。オレの恋人になってほしいんですけど」 
(オレト、ツキアッテクレマセンカ。オレノコイビトニナッテホシインデスケド)
カカシが微笑む。返ってくる返事を確信している眼差しで。

イルカは戻ってきた岐路に再び立った。
別れ道の行き着く先はふたつの未来だけ。
やり直しに与えられたチャンスは一度しかない。今度は「答えを間違える」訳にはいかない。


「はい」


イルカは、笑って続けた。
いいですよ。あなたと付き合います。
あなたの恋人になります。ええ、あなたがそう望むのならば―――。

風が、口にだす端からイルカの言葉をさらっていく。実のない言葉を。その不実を打ち消すように。
それでもイルカは、カカシが満足するまで、承諾の返事を、淡々と紡ぎ続ける。溢れ出ない愛の言葉の代わりに。
それ以外の返答は、もはや許されてはいない。
目の前に立つ男はあの日のカカシだ。まったく同じ男だ。
そして反対に、カカシと対峙する自分は、カカシを拒絶すれば、カカシがこれから何をするのか既に知っているイルカだ。
いやです。―――そう一言いえば、目の前の男は再び自分の頭がい骨へ手をあてて、中身を壊してしまうのだと教えられているイルカだ。
何が失われるのか、宣告されているイルカ、なのだ。



―――当代きっての医療忍術の術者が、肩を震わせ言った。「奇跡」だと。
いくらカカシが優れた術者だとて、そう何度も奇跡を起こせる訳がない。そんな都合よくいくとは限らない。
一歩間違えば廃人。二歩間違えりゃ即死。今生きてるのがおかしい―――そんな真似は二度とさせられない。
里の宝に、イルカのために、させていいはずがない。

イルカが拒めば、おなじことをカカシは繰り返すだろう。

多分、彼はもう知ってる。半年前、何があったのか。イルカがどう答えをだしたのか。そして、それに対して自分がどう行動したのか。
以前と同じ想いがカカシのなかに蘇ったとき、彼は記憶がなくとも理解したはずだ。
どうして、自分で自分を破壊したのか。
何を忘れようとしたのか。それにより、どう状況が変化を遂げるのか。
イルカの気持ちを縛り上げるには、どうすればよいか、気が付いたのだと。
彼は同じ、はたけカカシなのだから。



カカシはうれしそうに微笑んだ。
そっとのばされた指の先が震えてるのは歓喜のせいだろうか。
それとも哄笑をこらえてのことだろうか。
正直に言えば、自分の命を盾に、恋をねだるその身勝手さが恐ろしい。


けれど、失われる命の重さを思えば、カカシを受け入れることくらい簡単だ。

逆らうことはもう考えられない。
二度と、イルカはカカシを拒絶する言葉は吐かない。









*二度目の告白

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