ミジンコ
そのせまいお池のなかには、たくさんのミジンコが棲んでいました。
同じ姿のミジンコが、それはそれは数多(あまた)棲んでおりました。
ミジンコは毎日お池のなかで、数万匹が生まれ、数万匹が死んでいきました。
短い命のサイクルを繰り返し繰り返し、そうして精一杯生きていたのでした。
ある日、その膨大な数のうちの、やはり何の特徴も変哲もないとある1匹のミジンコさんが、おなじ姿のお仲間とすれ違いつつ水中を浮遊しながら、ごはんである植物性プランクトンを食べていると、どこからか(というか、おなんじ池のあっちの方から)別の小さなミジンコがその側まで漂ってきました。
その漂ってきたミジンコは、この食事中のミジンコさんとは別の種類のミジンコでした。
ミジンコさんは、ごくありふれた「ミジンコ」でしたが、近付いてきたミジンコは分類でいえば「ネコゼミジンコ」という種類でした。
両者は全体の形がよく似てはおりましたが、頭の形が違っています。
それに普通の「ミジンコ」には殻刺という部位がありますけどネコゼミジンコにはそれがないのです。
そしてなにより、ネコゼミジンコは、ありふれたミジンコさんよりも体が小さく、半分程度の大きさしかありませんでした。―――それはちいさな、ちいさな、頼りないはかない生き物でありました。
なんにせよミジンコ同士。共食いする生き物ではなく、棲む場所も、もともと同じ池の中です。幾百、幾千万のミジンコが生息する水のなかで、たまたま違う種類のミジンコがそばに漂ってきたからといって問題があるはずもなく。
最初からそこにいたミジンコさんは気にせず食事を続けました。
このミジンコさんは、うまれてちょうど2日めでした。
「ミジンコ」は20日程度の寿命なので、あと数日以内にはメスを捕まえて交尾をしなくてはなりません。
つまりこのミジンコさんはオスだったのです。
ミジンコは基本的にはメスだけで、オスは存在しません。
単位生殖という方法で次にの命をつくります。
ですが、池の中の環境が悪くなると、元来メスだけで単位生殖するミジンコにもオスが産まれ始めます。
そうして増えたオスとメスが交尾をして、悪い環境に強い、丈夫な遺伝子をもつ特別な卵を生み出し、元のような棲み易い水環境が整うまで命を繋ぐのです。
今は環境が悪くなってきたところでオスがたくさん増え出したときなのでした。
そして、食事中のミジンコさんに近付いてきたネコゼミジンコも、おなじくオスでした。
同じ池の中ですから彼らもオスを産み始めたところなのでしょう。
どの種のミジンコも、きびしい環境に抵抗力を高め、どうにか生き抜いていこうとしているのは変わらないのでした。
その種類の異なる、ちいさなネコゼミジンコは、水の中をフヨフヨ泳ぎつづけていました。きのう生まれてから、ずっとずっと、お池のなかをただよい移動していました。
そうして、一匹のミジンコさんのところまでくると、ようやく流れていくのをやめて、並んでバクテリアを食べはじめました。
ミジンコさんが水の中を少し移動すれば、不思議なことにネコゼミジンコもその後を追うようについていきます。
ミジンコさんがたくさんの距離を移動すれば、ネコゼミジンコもその小さなナリで、同じだけ泳いでついてくるのです。
何百、何千万の同じ姿のミジンコがあふれかえる水の中で、いっぴきのネコゼミジンコは、必ず同じミジンコさんのあとを追って、一緒に漂い続けます。
そのすぐよこを同じ大きさ同じ色、うりふたつのミジンコが漂っているのに、何故なんでしょう。絶対に間違えたりしないのです。
そのミジンコさんが、ミジンコたちが密集している場所に紛れ込んでも、ネコゼミジンコはいっぴきのミジンコさんをきちんと見分けているかのように、やっぱり同じのミジンコさんのとなりだけを浮遊し続けています。
はっきり明確な意志をもって、そのネコゼミジンコは凡百ないっぴきのミジンコさんのかたわらを離れようとしないように見えました。
その証拠に、ネコゼミジンコは何日たってもメスのネコゼミジンコと卵をつくろうとしませんでした。何千匹のメスと水中で行き会ったというのに、そちらへ泳いでいこうとはしません。もし少しでもミジンコさんから離れてしまえば、この広大無辺な池のなかで、二度と同じミジンコさんと出会うことはできないと知っているみたいに。
ネコゼミジンコは、明くる日も明くる日も、ふよふよとミジンコさんの傍らにだけ寄り添って過ごしました。
一方――、ミジンコさんは、毎日たくさんのバクテリアを食べました。
とても元気に生きました。
そして、生まれて21日で命をおえました。
結局、ミジンコさんもメスとつがって卵はつくれずじまいです。
(どこに泳いでもネコゼミジンコがあとをついてくるので、なし崩し的に、いっしょにふよふよと浮遊生活をしているうちに、メスと交尾する時期が過ぎていたのです)
その役目は果たせずじまいでしたが。
いっしょうけんめい生きました。
ミジンコさんは、そうしてしずかに水に還っていきました。
ミジンコさんとずっと共にあったネコゼミジンコは、その途端、元気をなくしたようにバクテリアを食べるのをやめ、すぐあとを追うように水に融けていきました。
*
春がきて、繁殖のために南から渡ってきた一羽のオオルリが森で歌を歌います。
ぴーりぃ、ぴーりぃ
若葉がさやさやと風に揺れ、オオルリがとまった木の枝もしなります。
産毛の生えた葉がすれあい、萎れた花の残骸のとなりには、あらたな桃色が柔らかなドレープをいくつも垂らしています。
春の森でした。萌えるような春の森でした。
天の光は金色にまたたき、木陰との境界で踊っていました。
ぴーりぃ、しじりー。ぴぽろ、ぴーりぃ
真っ白いふっかりとした胸を膨らませ、鮮やかな青い羽を春の光りに輝かせながら、春の森でオオルリは歌いました。
恋の歌を、高らかに歌いました。
姿の美しさと、きれいな声。
オオルリは春の森の主役です。
寒い冬を避け、あたたかな南の森で越冬し、春になれば北の地へ北上するオオルリにとって、春は渡りの季節であり、恋の季節なのです。
―――ぴーりぃ、ぴーりぃ。ぴぽぴーりィィ
同じ調子で、オオルリの歌声に応える小鳥のさえずりが木々の向こうから木霊してきました。
オオルリの歌声に気が付いた番候補の相手です。
そして、間もなくぴょこりと、同じ夏鳥が姿をあらわし、枝で歌うオオルリのもとへ飛んできました。
それはうつくしい青い鳥でした。
鮮やかな青と白い羽のコントラストが美しい、やってきた小鳥は、たしかに同じ種族の恋い求めたオオルリでしたが、おなじ色をもつということは、せいべつもおなじオスなのでありました。
歌声を響かせたオオルリは、地味なウグイス色をしたメスを待っていたのに、それはそれは派手な色彩の、オスのオオルリがきてしまったのです。
飛んできたオオルリは、嘴にはご丁寧に求愛給餌のつもりか、スミレの花をくわえています。
花より虫が好物な森のオオルリは、よろこび勇んで舞い降りてきたおかしなオオルリのスミレの花を、春のムードにおされて、うっかりプレゼントされてしまいました。
そのまま、二羽のオオルリは、おなじ枝にとまってそっと寄り添い合いました。
飛んできたオオルリが、ぴーりぃ、ぴーりぃ、と。
お花で嘴をふさがれたオオルリの代わりに、春の空へ、よろこびに満ちた歌を響かせました。
*
あなたが、ナルトの担任だった、イルカせんせいですか?
はい。
―――そうやって最初のことばを交わしたあと、間違いなく初対面である筈の木の葉の上忍は、それ以来イルカのそばを離れない生き物になってしまった。
里の看板上忍。元暗部。教え子の引き受け先。上忍師。男。
どれをとってもイルカには合わない。話も合わない。なつかれても困る。それが突然現れて、これからのイルカの人生に居座るのだというのだ。
本人がそう決め込んで、宣言もきっぱりとされた。
イルカは、非常に困惑し、長らく抵抗した。したのだけれど。
結局――それを許すことに落ち着いた。
許すも許さないもなく、相手が一方的にいっしょにいると言うのだから、もうこれは仕方ない。
すごく困るけれど、諦めるしかない。
それに、まるで忠実な犬のようにあとをついてまわる姿に、何故か覚えが……あるような感覚。
捨てられるものかと、必死でしがみついてくる姿をどうしてか、知っている気がする。心を揺らす。それを見てしまったら、仕方ないなあ、と根負けしてしまった。
しつこいほどに懐かれて、不思議なことに、それがとてもしっくりときてしまう。
「あいたかった」
カカシはそう言った。
イルカを一目見るなり、カカシは卵から出てきた鳥のヒナだ。
不可思議な刷り込みがそこにあった。
あいたかった。あいたかった。ねえ、あいたかったんだよ。ずっと。
そう壊れたレコードのようにカカシは繰り返し言って。
自分でもなんでそんなこと言うのか解らないくせに、あいたかったとだけ繰り返し告げて。
くしゃりと顔を歪ませて。
そのまま、ぎゅっとイルカを抱きしめて、はたけカカシはイルカから離れなくなった。
「イルカ先生、アイシテル」
―――あったばかりなのに、告白されて。
そのとき、何故か前にも同じことがあったような、既視感を覚えて。
だから。
これが運命なのかもしれないなあ、とイルカは諦めた。
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