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* どうかしあわせにと願い、すこやかであれと祈る声を             

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 ぽかん、とミノリの大口があいた。
 首が痛くなるほど見上げても、まだ高い。なんと大きな壁である
ことか。
  ――――それだけで理解する。
  木の葉の里は、話に聞くよりもずっと大きな里だった。



*




 旅の終点が見えた。
  あれが門だ、と連れ合いの声に力が籠もる。

 木の葉の里、その始まりが近付くにつれ、秋晴れの青空を背負っ
て遠目にも「ん」と「あ」の文字が読み取れた。堂々とした立派な
門だ。手習いで習うその二文字が、ミノリには丸きり落書きのよう
に見えもして、弾む呼吸(いき)の合間に、くすりと笑った。
 恐ろしい噂が絶えない忍びの里の入り口にしては微笑ましい雰囲
気をかもしているではないか。そのように吃驚する気持ちもあった。

 だが笑っていられたのは、それからもうせいぜい二十歩程歩いた
短い間で。
 ミノリの足で300歩程、約1里の距離まで近づく頃には、笑顔
は「唖然」に変わった。
 呆気にとられるしかない、天高き囲い。
 本当にあれが。あそこがこれから暮らす里なのかと。
 自分はこの里の者になるのかと。
 ミノリは信じ難い想いで、額にうっすらと汗が浮いたのだった。



*



 木の葉の里の障壁――というものをこの日ミノリは初めて見た。
 嫁いだ相手がこの里の者で連れてこられたからだが、いやそれ以
前に、石や岩で造られたもの自体、目にするのは初めてだった。ま
してやそれがこんな小山の高さにそびえ立つ堅牢な建築物だ。こん
なものが人の手で造られたと考えれば何もない山育ちにはくらくら
と目眩がする。
 ミノリの住んでいた集落には、木と茅(かや)で建てた小屋しか
なく、多少の干し煉瓦や組んだ石を使うことがあっても、ミノリに
とって建物というものはあくまで材木で造られている。それが常識
だった。

「ミノリ、行くぞ」

 夫の長吉が繋いだ指をくいっと引いたが、ミノリは返事もできず
に、呆然と上を見上げたままだ。長吉は、ほら、と指ごと先導して
歩きだす。そうして長吉に牽かれるままに、ミノリはよたよた大門
をくぐった。ミノリの一つに束ねた髪の毛先が一足ごとに軽く撥ね
るのはよろけているからである。
 まったくおぼつかない足取りでなんとか前に進みながら、ミノリ
は耳と足裏の感触で、自分の足元の砂利の音が途切れたのに気をひ
かれた。なんと、門の付近だけ、平らに均した大きな石畳なのだ。
道に態々石を敷くだなんて。意味はあるのかないのか。わからない
が、とにかく大層なことだと、おっかなびっくり身を縮めて踏んで
いく。


 そして里内に足を踏み入れ。
 まず気付くのは、すれ違うひととの距離の近さだった。


 門をくぐればそのまま大通りだった。
  里人がそこかしこにいるのを見てミノリはわあっと大口をあけた。
  男も女もいっぱいいる。それだけ混み合っているのは、ここがこ
の里の玄関口だからだが、出入りが多いのはこの里自体が賑わって
繁栄している証だ。
 あまり広くはない土地で、面積の割に人口が過密で、と小難しい
ことを此処への道中長吉が説明してくれたが。なんの、どこが狭い
里なものか。ミノリにはここが火の国の都だと言われても不思議で
はない。
 見るものすべてが珍しく、胸が早鐘を打った。
 履物の鼻緒をきゅつと鳴らして立ち止まってみた。視線は、並ぶ
土産物の店の紺に染め抜いた暖簾(のれん)の上あたりに滑らせな
がら、ミノリは繋いでいない指で長吉の着物の袂を引いた。

「ねえ長吉さん。ここにはお城もあるんでしょう?」
「ああ、桔梗城があるとも。ここからじゃ見えねえがな。あれは里
の境に建っているから」

 長吉は頭をかいて、説明しながらどこぞの方向を指さした。あっ
ち、と言うのでミノリもそちらの方を向いたが、言葉通り何も見え
なかった。いろんなもので視界は塞がれていた。今しがたくぐった
障壁ほどではないが、どこも競うように天に向かって伸びた建物が
密集していて、それしか見えないのだ。狭い土地を有効利用するに
も限度があり、里内の殆どは、集合住宅というものになっているら
しい。
 長吉の説明では家の上に更に家を積んで作られた住まいだという。
そんなものが数え切れない程あるというのだから、確かに広さの割
に、里人の数は多すぎるほどに住んでいるのだろう。
 すぅっと長吉の浅黒い腕が、奇妙な顔岩の方へ持ち上がる。


「ほら見てみろ、ミノリ。あれが火影岩。歴代の火影様の話はした
だろう? あれが歴代の火影さまの像だ」
「うん」
「あれは里のどこからでも見える。目印にしておいおい道を覚えて
いくといい」


 長吉の、指でささずに腕で指し示す仕草。そこには深い敬意が感
じられた。
 鋭角的に削られ造形された赤茶けた岩山。 
 あそこに彫り込まれずらりと並んだ里長は、皆、立派な長だった
のだろう。 
 どこか自慢げな長吉の声音に、この里の一員としての矜持も伝わ
ってきた。
 ―――栄華を誇る共同体の一員であるということの。

 二親をなくし、木の葉の里に住んでいた大伯父一家に引き取られ
てこの里にきた長吉は、ここに根をおろしてまだ十年だが、ミノリ
には長吉が生まれつきの里の者のように馴染んで見える。実際、馴
染んでいるのだという。
 小さく廃れた集落で育ったミノリには、近隣の似たような集落と
も交流した記憶がない。集落、村、里、呼び名と場所がちがっても、
基本的に余所者に排他的なのはどこも変わらないと聞いていたのだ
が、忍びの里の気風だけはまったく違うらしい。
 人的資源を基盤とするせいか、木の葉の里は一度認可さえ受けれ
ば余所者でも受け入れる住みよい土地なのだそうだ。里で暮らす者
には絶対的ないくつかの厳しい制約が課せられる反面、税も軽く、
金まわりのよい者が多いから商売するには打ってつけの恵まれた場
所だ。

 長吉はここで岩魚や山女の干し物を作ってひとりで商いをしてい
る。海が遠い木の葉では、海産物よりは川魚が主流であるらしい。
長吉の大伯父はフナの甘露煮を商っているそうだし、長吉の縁者は
みなそういった商売をしていて、長吉も自然とそういった仕事を覚
えたらしい。
 長吉は小さいが店も一応かまえている。
 今までそこは半ば作業場で、売り歩く方が需要も多かったそうだ
が、ミノリが嫁にきたことで、今後は人手が倍だ。食いぶちが増え
た分は、店でも少し売れれば相殺らしい。
 食べてくくらいは大丈夫だ、と長吉は胸を叩いた。
 長吉は年に何度か山に入って、値のつく薬草の採取もしているの
だ。そういった葉がよく自生している火の国の東の方の山までも行
く。もともと長吉は名前の特徴が現す通り(火の国で一般的な名前
の響きとは一線を画している)国の東の方のある集落の生まれだ。
それで東の方に土地勘もある。ミノリとはそこで出会った。ミノリ
が食べるためのゼンマイをとっていたら、山に来ていた長吉がたく
さん生えている沢を教えてくれたのが切っ掛けだった。

 それ以後、長吉は年に数度山にくるたびミノリのところに顔をみ
せにきた。
 年も、22と19だ。頃合いもよく、男と女になるにはそう掛か
らなかった。
 長吉は薬草探しがとても上手かった。死んだ両親に習ったそうだ。
その薬草がまた、そこそこいい値がつくので、毎年多少蓄えもでき
ているらしい。
 だから嫁にこいよ、と言われて身寄りもなく一人暮らしだったミ
ノリはうんうんと頷いた。けれども長吉がかつかつなその日暮らし
な男でもやはり頷いたと思う。長吉は獅子っ鼻で、愛想も良い方で
はないが、笑うと目が糸のようになって、本当に嬉しげに見えてそ
こが気持ち良い。それに漠然と遠くに連れて行かれるのだとしかそ
の時は知らなかったのに頷いたのは、根がやさしい気質の長吉に出
会ったときから心惹かれていたからだった。

 
 そして一緒に連れ帰られた第二の故郷が忍びの隠れ里。
まったく考えたこともなかったけれど、ミノリはここでこれから終
生暮らしていくことになった。

 忍びの噂に、きな臭さは付き物で、いい話はあまり聞かない。
 漠然と、物騒な人間の集う暗い場所のような想像をしていたが、
実際にはまるで違った。活気に満ち、雑多で騒々しく、独特の華や
ぎもあった。縁者の殆どいない若い夫婦ものが落ち着くにはいい環
境のようだった。

 もちろん、忍びの里の性質上、危険にさらされてるも同然なとこ
ろには違いない。
 敵対する間者が入り込んでことを起こしたり、敵に攻め入られる
こともなくはないそうだ。だが、この木の葉は隠れ里の中でも抜き
ん出て軍事力を誇る里で、護りも堅い。危機だったのは、一度狐の
化けもが里を襲ったりしたときくらいで、それでもすぐに復興した
そうだし、近年は力のある里長と、近隣に名の知られた強い忍びの
おかげで、めったに里人が危険に晒されることもないという。


 里の掟さえ守れば、特に理不尽な目にはあわない――と長吉は何
度も繰り返して聞かせた。それも特に難しいものではないのだと。


 例えば、有事には忍びへの協力を惜しまないこと。
 強制ではないが、生まれる子供を忍を養成するアカデミーへの入
学を推奨していることを理解すること。
 里から要請された方針には従うこと。
 この里の情報を余所に流さないこと。
 そして、口にしてはいけないある秘密を、ある特定の人物の耳に
いれてはいけないこと。
 ――――最後のそれだけは、絶対にしてはいけないのだと。



「ある秘密ってなあに?」
「特定の人物ってだれのこと?」



 当然の疑問として、ミノリは長吉に尋ねた。長吉は何故か一度口
を開きかけて、結局言葉を発さずに閉じた。それからただ首を振っ
て、ミノリは知らなくていいよ、と呟きを乾いた地面に落とした。

「知らなければ、言わずに済むだろう。愉快な話でもない」
「誰に言わずにすむの。ねえ、長吉さん」
「きっと、ミノリは会うこともないよ。だからそれも知らないでい
いさ」
「でも、」
「いいから忘れてくれ」
「でも」

 ミノリは年相応の好奇心も持ち合わせている。それはなかなか抑
え難かった。
 どうしても教えろと駄々をこねるつもりはないが、やはり気には
なる。


 決して、言ってはいけない秘密。それも「誰か」にだけは知られ
ちゃいけない、つらい話。―――それはいったいどんな秘密なのだ
ろう?


「・・・つらい話なんだ。知らないでいる方が幸せだ」


 長吉はそういって、首を横に振った。振り続けた。
 結局、一番重要だという里の掟についてはかたくなに里について
も話してくれなかった。

 諦め切れずにその話を持ち出すと、長吉はつらい話だといった通
り、沈んだ表情を浮かべる。うずまきナルト、と何かの折りに聞い
た名前を言いさして、けれど最後は口を噤むのでミノリもしまいに
は聞きだすことは諦めた。









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