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* どうかしあわせにと願い、すこやかであれと祈る声を             

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 うみのイルカの恋人は、写輪眼のカカシ、というらしい。
 誰かを捕まえて尋ねればすぐに答えが返ってきた。写輪眼、は字
のようなものだろうか。本当の名前は、はたけカカシ、というそう
だ。とても有名な上忍らしい。里でも1、2の能力を誇る稼ぎ頭ら
しい。

 その有名でイルカの恋人な男が、ひらひら手を振って消えたのを
見たような、見なかったような。大事なお客様を見送った記憶が消
えるくらいミノリには新事実が衝撃的だった。一年も暮らせば、忍
びの里の風紀が乱れていて、というか寛容で、そういう話も珍しい
ことじゃないことは解ってる。ただイルカに関して一度もそういっ
た色めいた話題がでたことがなかったので、とても驚いただけだ。

 どうして今までその噂を耳にしなかったのだろう。
 カカシが「外回り」で留守だったせいだろうか。それでたまたま
なのか。
 妙なの、と思いながらミノリはとにかく長吉の帰宅を待った。



*



「今日ね、写輪眼のカカシさんに会ったわ」 

 中身を売り切って、空の桶を肩に担いで早めに帰ってきた長吉を、
まちかねたミノリは勝手口までいそいそと出迎えにでた。イルカの
件も含めて話を聞こうと夕餉の支度をしている間もずっとそわそわ
しっぱなしだった。

 顔を見るなりミノリがにこにことそう話を切り出すと、反対に長
吉の顔はみるみる青ざめた。
 ミノリは夫の反応にぎょっとして、その血の気の失せた頬に手を
のばす。


「長吉さん?」
「な、なにか――・・・何か聞かれなかったか、ミノリ!?」


 長吉は逆にその手をぐっと掴んで、恐ろしい勢いでミノリに詰め
寄った。
「ど、どうしたのそんな大声だして、いきなり」
 ミノリがこわごわ長吉に言い返すと、長吉ははっと何かを気にし
たそぶりで辺りを見回した。そしてすぐにミノリを家の中にぐいっ
と押し込んだ。
 自分もその後に続いて、何故かいつもなら寝る前の戸締まりのと
きしかしないつっかえ棒を勝手口にはめる。
 それから目につく端からばたばたと戸締まりをして回った。ミノ
リは訳がわからず立ち尽くし、おそるおそるその背中に呼びかけた。

「・・・・・長吉、さん?」

 すべての戸という戸を閉め雨戸まで閉めて、家の中の会話が漏れ
ないように完全に密閉してから、ようやく長吉は若妻を振り返った。

「ミノリ」
「どうしたの? どうして戸締まりを?」
「おまえ、あのひとに……何か言ったか? 何か答えたりしなかっ
たか!?」

 いつもは温厚な長吉が、きつい口調で詰問してくる。
 ミノリは、あのひと? と混乱した頭で返した。
 あのひと。写輪眼の。はたけカカシ?

「――――何か、って。どうしたの? どうしてそんなことを? 
ただイルカ先生を見なかったかって、そんな風なことを聞かれただ
けよ?」

 理不尽になじられている心地が悔しくて、ミノリは涙を浮かべた。
 だが長吉は、恋女房のミノリの涙よりも、別の懸念に心をとらわ
れている様子で、ミノリの返事に一瞬苦い顔付きをした。

「それでなんて、おまえはなんて返事をしたんだ!」
「・・・・・・見てないって。だってわたしイルカってひとにまだ一度も
あったことないんだもの。だからわからないって」

 ミノリが体を震わせながら答えると、長吉の頬に少しだけ血の気
が戻ってきた。

「他には何も言っていないんだな?」
「イルカ先生のお話を少し。いいひとなのねってそんな風に。よく
噂に上るひとだから。ねえ、なんなの。いったいどうしたの長吉さ
んっ」

 長吉はミノリの質問に答えるまえに、緊張の糸が切れたように、
へなへなとその場に座り込んだ。 
 ミノリもあわてて傍らに座り、うなだれた長吉の顔を心配しての
ぞき込む。 



「・・・・・・どうしたの?」
「言っちゃだめだ。あのひとに余計なことは言っちゃだめなんだミ
ノリ」
「・・・言ってる意味がわからないわ」
「おまえは何も知らないから。知らない方が安全だと思っていたの
に会っちまうなんて・・・・。クソっ、またあのひとに会ってしまった
ら、おまえは今度こそ下手なことを口にするかもしれない。そうし
たら、そんなことをすれば、里から俺達は粛正を受けてしまうっ!」



 長吉は唇をぶるぶる震わせ悲痛な声を絞りだした。
 ミノリは長吉の袖をぎゅうっと掴んで尋ねる。


「どういう意味なの・・・・・・・?」
 長吉はもって上がった商売道具の桶を八つ当たりするように土間
に放り出し、悲しい里の機密を何も知らずにいるミノリの両肩を痛
い位に掴んで揺さぶった。痛いのはどこなのか。もうわからないく
らいに揺さぶった。



「これは里の掟だ、ミノリ! ―――口にしてはいけないある秘密
を、ある特定の人物の耳にいれてはいけない!」



 里人が課せられる制約の中で最も重い約束事。
 犯してはならない禁忌。
 ―――それだけは、絶対にしてはいけないのだと。




「はたけカカシに言ってはいけない。知られてはならないんだ、う
みのイルカという男が、どこにも存在しないってことを・・・・・!!!」




 三代目火影の代から、在位の短かった四代目、五代目を経て。
 現在の六代目火影うずまきナルトに至るまで、それは何よりも厳
しく守られてきた絶対の里の掟なんだ――――――――!!



 激しく肩を揺さぶられるのとは別の、くらりとした目眩にミノリ
は襲われた。




*





「イルカ先生は、もう死んでるの?」

 ――――いいや。

「4年前から会えないって言ってた。4年前に死んじゃったから、
そのことをあのひとに秘密にしているの?」

 ――――いいや。

「でも、いないって言ったわ。じゃあどこにいるの」

 ――――居ないじゃなくて存在しないんだ。言葉通りだよ。
 ――――うみのイルカは本当にいないんだ。そんな男はこの里に
元から存在してないんだよ。

「だって、みんな噂してるじゃない。だって今日の話よ。なくした
櫛をイルカ先生が届けてくれたって・・・!!」

 ――――この里では何かあれば、「うみのイルカ」の名前をだす
んだ。失せ物がでてきた、それはイルカが見つけだしてくれたんだ
。釣銭が多い。うみのイルカが受け取らなかったからだ。そんな風
に。何かにつけてだ。それはこの里の習いなんだ。イルカがまるで
実在しているかのように、そうやってその名前を使うんだ。

 ――――はたけカカシのために、そうしてこの里は偽ってみせて
いるんだよ。うみのイルカが存在しているかのごとく、まるで里の
どこかで生きているかのように。

「嘘よ、そんなの・・・! だってアカデミーの先生なんだって。顔に
傷があるひとなんだって。とてもやさしい、いいひとだって、みん
な噂して・・・」

 
 里の受付やってるひとだから。
 倹約精神身についちゃって。


 イルカの恋人だと名乗った男はそう言っていた。人の口に上るイ
ルカの像をより鮮やかに肉付けして、うれしげに語っていた。あれ
はいったいなんだというのだ。



「うみのイルカは、はたけカカシの空想の人物なんだよ、ミノリ」



 ―――あのひとが、どんなに理性的で、そしてどんなにこの里を
守るために尽くしていて、いまだに数多の忍びの頂点の能力を誇っ
ている素晴らしい忍びなのだとしても。

 その一点においてもはや、はたけカカシは正気とは呼べない人間
なんだ。












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