とても駄目なくらいにやさしいひとの想い出

無題



「凄いコントロールですねえ」

 ―――と感心した声が、気分の悪いことに肩先に吐息と共にかかった。
称賛の筈のそれは、何だか余計な色が付いてて全然嬉しくない。それはそうです。こちとら本職(医療忍び)です。アカデミーの先生より下手くそでどうします! という反発が喉元までせり上がってきたのを、わたしは慌てて飲み込んだ。たくさん出た自分の血に怯えて不安そうな子供の前でしていい会話じゃない。
 でも、鬱陶しいな、とげんなりするのは否めない。
 すごい、コントロールですねえ、とわたし(のチャクラコントロール)を褒める前に、治療に耐えて歯を食いしばっている子供を褒めたのなら、わたしもこんな気持ちにはならない。こんなんで大丈夫なのかしら、教育現場。
 怪我した子供の足だけでなく、治療の為にしゃがんで剥き出しになったわたしの足もチラチラ見ている駄目教師を、近いです! と押しのける気にもならなかったのは、もう慣れたことだったから。
(見てもいいけど邪魔はしないでよ)
細胞の活性化は、非常に神経をすり減らす精密な医療行為なのだ。
一般の里人も利用する木の葉病院でも、火影様直轄の医療忍従事機関でも、有事でない場合、なるべく薬や火の国全般の行われるレベルの医療行為で治療することを推奨している。医療忍術はちょっとズルした魔法のようなもので、少なからず被験者へ跳ね返る負担がある。これくらいの傷なら夜多少熱がでる位で済むけれど、それでも、これは本来しちゃいけないサービスだ。医療忍びのチャクラも無尽蔵ではないため、不必要に濫用しないことも責務なのだから。
 ただ、この子供の怪我がパックリひざ下の肉が割れて血が沢山でたのはすごく可哀相だったし、怪我の理由が、乱暴な同級生から、女の子を守ろうと身を呈した結果だと知ったから放っておけなかった。
アカデミーの保健室に子供を運びこんできた教師も、ここに派遣される医療忍びの考えや在り方は熟知していたらしく、怪我の経緯を聞いたわたしが、針と糸を急に手放して、術でもって皮膚を再生し始めた時は目を丸くしていた。多分、彼の眼には慈愛に満ちたやさしいくのいちに映って、変なフィルターも掛かっているのだろうな、と想像がついた。
そして、その眼は、血止めされ、塞がっていく子供の足ではなく、完全にこっちに注がれている。辟易してしまう。

(もし、今度こいつが怪我して保健室にやってくることがあれば)

―――オキシドールを一瓶、どばっと傷口にぶっかけてやろう、と心に決める。
 つい、先日も、似たようなことを色ボケ気味な別の教師にやったばかりなのだが、残念ながらその教師は自分がされた「治療」については誰にも語らなかったらしい。―――惜しい。言ってくれていれば、煩わしい誘いも半減しただろうに。
 わたしの平凡な栗色の髪は、この色彩過多な里の中では目立つものではないけれど、同じ色をした長くて濃い睫毛と細い眉、そしてよく、「どこか遠くを見てる瞳」と称される、そこだけきれいに色素の抜けた目は、二十歳そこそこの若さも手伝って、異性の目をかなり惹き付けるようになっていた。そんなのいらないのに。


「ちなみに、恋人はいるんですか?」
 と定番な声が背後から掛かる。
 聞かれる度の毎度の返事はコレだ。「わたし理想が高いので」と、いつものように背中を向けたままを返す。冷たく返したいが、子供の前だ。でも、目を見て言う気力ももはやない。

 同僚に聞いた話だが、軽度の治療中に忍び(当人であったり、付き添いであったり)から誘いを受ける確率が格段に高いのは、ナイチンゲール神話というか、必死に相手を助けようとする救いの女神の登場に「この俺の命綱逃しちゃいけねえ」という生存本能の高まりと絡み合った気持ちが掻き立てられるせいではないかという話。そうかもね、とわたしもその見解には同意だ。多分、特殊フィルター掛かって、3割増し位には美しい姿だもの。実際、モテ期真っ只中のわたしも、瀕死の患者の治療にあたっている血濡れの酷い姿のときにはさすがに声が掛からない(掛けてこようものならぶん殴って昏倒させてやるが)。男の煩悩って救い難い。あと白衣好きって意外に多い。

 理想が高いという返事に、相手は勝手に、成程ねえ、とどこか値踏みをするように、スリーサイズのラインを縁取る動きで人の全身をじろじろ観察したあと、やっぱり上忍じゃないといやですか? と(中忍以下の場合は肩を落としつつ)(上忍の場合は期待に目を輝かせて)聞いてくる。なにかのマニュアルであるのかと疑いたくなる様式美にも似た会話。
「いいえ、そんなことはまったく」
とそこで、わたしは断言する役。本当のことなので、そこはきっぱりと。

 男って馬鹿だなあ、と思う気持ちと、そこがまあ憎めないのかもと思う気持ちとで、ムカついていても、いつもここで笑ってしまう。恋がしたいのは、猫よりもさかってる時間が長いからだろうか。それで、いつも相手に勘違いをさせてしまうのだけれど。お、脈あり? みたいな。
でも、そんな事実は一切ない。わたしが理想とするタイプと粉を掛けてくるタイプが合致しているならいざ知らず(今まで残念ながらそういった出会いはないままだ)。
 すごく、期待に満ちた目で、


「どんなひとがいいんですか?」


と子供の怪我をそっちのけで、今この場で声を掛けてくる時点でアンタはアウトよ、と突き付けてやろうかと思ったが気が変って、私の理想のひとがどういうひとか教えてあげた。わたしの理想のひと。理想の男性は―――、


「オカマみたいな人」



 そして、とても駄目なくらいにやさしいひと。









 むかし、わたしがまだこの里の住人ではなかった頃の話になるのだけれど、わたしの家のお隣には、よくない評判の男のひとが二人住んでいた。
 そこは火の国の端っこにある小さな町で、わたしは猫6匹とおかあさんと一緒に小さな家に暮らしていた。うちの評判も彼らに負けず劣らずわるかったから、なんだか同志ができたような親近感を子供ながらに覚えていたのか、わたしはよく、その彼らの家に遊びに(玄関からではなく、裏庭へ勝手に忍び込むことをそういうのは語弊があるかもしれないけれど)行っていた。

 うちの猫の「夏」が産んだ5匹の子猫が、うちの家の庭から隣へと続く垣根の隙間を潜って、お隣へ遊びに行くのを後から追い掛ける。わたしは飽きもせずにそれを繰り返した。子猫はうちの家よりも、登れる木が多い、彼らの家の方が好きで庭に放すと迷わずにとことこ歩いて行った。それにこっそり便乗する。わたしにはそれがとても刺激的な遊びだった。表札のない家に棲む男の人の名前は「はたけさん」で、彼は気配に敏感なのか、すぐにわたしを見付けてしまう。それに、先にてんでバラバラに侵入した筈の子猫の数も今いる場所も言い当ててしまえるのだ(だから探す必要もない)。すぐに見つかって、「いらっしゃい」と快く縁側に招いてもらうまでの数分のどきどき感は、まったく飽きることがなかった。

 うちのおかあさんは、少しぽっちゃりしているけれど綺麗なひとで、近くの畑でたくさんのお野菜や、山の上流で山葵を育てたりして生活しているので、日中はわたしと猫たちしか家に居なかった。
 おとなはみんな昼間は家にいないものだとわたしは知っていた。お仕事をするのだ。働かなければ食べていけないのだ。そしてこどもは学校に行く。そこで友達をつくり勉強をする。そして立派に成長を遂げる。勤勉な人間の営みとはこういうものだ。ただ、例外もあって、―――わたしは事情があって、ちょっと前から学校には行っていない。なので、一応、家に居てもおかしくはないのだが、お隣の男の人の片方はいつ行っても家にいるのだ! わたしはこういうのをなんというのか知っていた。
――――――さぼたーじゅ!



「はたけさんはさぼって怠けているの?」
「そうだよ」

 とあっけらかんと笑って答えて、いつも小さなわたしの相手をしてくれるはたけさんは、片目を眼帯で覆った男のひとで、長い前髪で隠れた肌には、縦に大きな傷が入っていた。白い髪の毛は、陽ざしにきらきら光る。不思議な色だけど、はたけさんの故郷ではもっと珍しい色の髪の毛のひとが沢山いるらしい。金色の髪もあるのだそうだ。すごい!見てみたい! とわたしはその話に興奮した。
髪から金が生えるなんて、そのひとは一生ハゲるまではお金に困らなくていいわね、と言うと、はたけさんは「そうだねえ、あいつは大金持ちだ」と知り合いのことなのかすごく楽しそうだった。この家に住むもうひとりの男の人は、はたけさんから「先生」と呼ばれていて、黒い髪をしていた。「先生」の墨みたいな黒髪も、茶色の髪の住人しかいないこの町では、やはり珍しいのだが、当人は珍しがられることに慣れていないみたいだった。慣れている様子のはたけさんは、やはり彼の故郷でも珍しい色なのではないかという疑念はつきなかった。

ふたりはこの見た目でも大層目立ったし、この町ではとても浮いていた。一番浮いていたのは、かれらが「おとこふーふで、おかま」だからなのだそうだが。

 意味はわからなかったけど、うちのおかあさんが「みこんでこどもをうんだ」と言われる調子と同じだったから、悪く言われているのはわかる。みこんは、結婚してないことで、うちにはおとうさんが居なくて、おかあさんはわたしをひとりで産んだ。おとうさんは、私がお腹にいることを知って、当時していたお仕事にけじめをつけて辞めてから、おかあさんと一緒になる! と言っていたのに、最後に受けたお仕事で運悪く命を落としてしまったんだって。それは結婚できなくても仕方がない正当な理由だと思うのに、町のひとの感想はそうじゃないのだ。でもべつにおかあさんは悪いひとじゃないし、悪くない。だったら悪くいわれているはたけさんも悪いひとではないのだと思った。
 それは本当で、はたけさんも、はたけさんの同居人の「先生」もとてもいいひと達だった。

「はたけさんは、おかまさんだから家にいるの?」
「うーん、あのね、外に出ていくオカマさんもいると思うよ」

 はたけさんが、真実おかまなのかはさておき、否定はしないので、そうなのかなと思わないではないのが歯痒いところだ。何故なら、聞いた話、おかまさんは、女のひとと結婚しないらしい。わたしはちょっと残念だった。だってはたけさんはすてきだ。将来、結婚してあげてもいいくらいすてきだ。

「おかまさんは、家にいて、奥さんのお仕事をするんだって言ってたわ」
「誰が?」
「どっかの大人のひと」
「そうなの。でも、奥さんのお仕事って具体的になんだろうねえ」
「知らないの? 家でぐうぐうお昼寝することよ」

 大人で遠くから来た友人に、教えられることがあって、わたしは嬉しくて胸を張って答えた。友達の家のお母さんは「専業主婦」で、いつ遊びに行っても、畳でごろんと寝ていたので間違いない筈。

「じゃあ、オレは怠けずにお仕事をしてるね」

 だって、いつでも寝てるもの、とはたけさんは言って、縁側にごろんとひっくり返る。大きな手足は、あまり大人の男のひとに免疫のなかったわたしには壮観な光景だった。もしうちに「おとうさん」がいても、それはやはり壮観な光景だったかもしれない。
 はたけさんは、たぶん町の誰よりも背が高く、手足も驚くほど長かった。「先生」のほうが少しだけ小さい位で、やはり彼も同じくらいに大きな男の人だった。ともだちのひとりが「オカマは女みたいな男のことだ」と言っていたけれど、はたけさんも、「先生」もどちらもその表現には当てはまらないと思った。確かに、はたけさんの方は、言葉遣いがすこし変で、時々女の子みたいな甘ったれた喋り方をするのには私も気付いていたけれど、だからといって女っぽさはカケラもないひとだった。
 前髪で隠され気味の顔がとてもカッコイイ男のひとであること、をわたしは出会ってすぐに気付いたが、多くの女のひとたちはそれを知らないままだった。町であまりそこが噂にならないのは、はたけさんがこの家からあまり出歩かないせいもあったのだろう。彼はそこに住んで以来、隠棲、を絵に描いたような引きこもりぶりだった。
 対して、もうひとりの「先生」もよく見ればなかなか凛凛しい顔だちで、それに朗らかな雰囲気で、いわゆる好青年ぶりのすごいひとだったのだが、あやしい噂がちっとも払拭されないままなのは、彼もまた町のなかではあまり姿を見かけることがないせいだった。

 「先生」は朝とても早い時間から「仕事」に行く。そして遅くに帰ってくる。町の外に出て行ってるようで、たぶんとても遠いところで働いているのだ。
 はたけさんは「先生」の勤務先を「アカデミー」だと教えてくれた。

「それってどこにあるの?」
「オレ達が前に棲んでいた場所」
「故郷?」
「うん」

 とあまりに優しい目をして答えるから、私は泣きたいような、お腹がしくしく痛む様な、悲しい気持ちが湧いてちょっと焦った。盗られてしまう、と思ったからだ。勝てない相手に。だって、はたけさんはいつかはその故郷に帰ってしまう。きっと先生も一緒に。遠かったらどうしよう。もう会えなくなったら。―――でも、よく考えると「先生」は毎日そこに帰ってるので、実はそんなに離れていないのかも? とわたしは気持ちを持ち直した。

「故郷は、歩いてどれくらいのところ?」
「子供の足で、1週間はかかるかなあ」

 それは嘘だ。
はたけさんの返事にそう思って、私は唇を尖らせた。ごまかされたのだ。だって、こどもの―――つまり、わたしの足で1週間。大人の足で、その約半分以下の3日だとしても、そんな遠くに「先生」が毎日通って、その日のうちに帰れる筈がないじゃない。はたけさんはわたしのジト目と「不審」に気付いて、頭を掻いた。あー、ちがう、ちがうの。と言いながら。

「本当だよ。あのね、先生は忍者だから足が速いのよ」
「忍者、なの?」

 わたしは「忍者」という単語にどきどきした。知ってる。忍者は隠れ里に棲んで、でてこないひとたちだ。いろんなことができるのだ。たとえば、ひとを、怖がらせるような―――。
 はたけさんは、私の回想にかぶさるように、言葉をつづけた。


「うん、そうね。あのひとは、忍者で先生もしてるの」
「はたけさんも?」
「オレは、前ね、してたの」


 その、してたの、が「忍者」にかかるのか「先生」にかかるのかは聞けなかった。







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