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* ガチャピンとムック 1


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 はたけカカシは、恋人と長く続いたことがない。
  たいてい数カ月。もって半年。
  遊んでるわけでも、不誠実なわけでもないのに、続いた例がない。


  付き合いましょうと言い寄ってくるのは相手からで、お別れしま
しょうと切り出すのも同じく相手の方から。


 暗部時代は特定の男女関係を結ぶような環境になく、もっぱら愛
読書のなかの恋人たちに憧れて過ごした経緯もあり、イチ上忍とし
てオモテに出たのちは、単純に彼女というものができたのが嬉しかっ
た。

  言い寄られれば悪い気はせず、自分もそのうち家庭をもったりす
るのかなあと、恋人と寝て、漠然と将来を予想したりもした。
  ずっと一緒にいられる相手と、仲良く、なごやかに過ごせたらい
い。それだけでいいな。そう楽しい想像は膨らんだ。
  カカシは相手に多くは望んでない。まあ自分はちょっとズボラだっ
たり、かなり寝穢かったりするので、それを呆れずに付き合える女。
  望むことなんてそれくらいだ。あとは、優しくて可愛いひとだっ
たら、なおいいなと考えるくらいで。

  上忍のカカシに縁のある女達は、美しくて強く気性もはっきりし
たくノ一が殆どで、理想とはやや食い違ったが、べつにそれはそれ
でかまわなかった。

  要は仲良くずっと付き合っていける相手なら良いのだ。
  人間なんて単純だ。好意を示されれば嬉しい。
  よほどの障害がないかぎり、それで相手に好意を抱いてしまう。
  そうして何の問題なく恋人になったはずなのに――別れはすぐに
やってくる。
  もって半年、それ以上は続かない。

  常に狩ったり獲ったりが身上の女達からすると、いくらカカシが
上忍でエリートでも、平時のカカシは覇気に乏しく、物足りなさを
覚えるらしい。彼女たちに言わせると、カカシは薄い。
 いや、薄いというより、手ごたえに乏しいというか、活きがよく
ないというか。
  濃ゆいのはキライなくせに、薄すぎてもダメなのだ。

  確かにカカシは、芒洋とした雰囲気だ。
 元々の性格が鷹揚な方だし、のんびりもしてる。
 任務中は研ぎ澄まされた刀のように切れる分、普段は気も抜いて
るし。
  でもそんなのは当たり前のことで、呆れられるほど酷くはないと
思う。ただ、そのマイナスポイントを増幅させる身体的特徴がはた
けカカシにはある。……それは認める。


  ―――結局は、そこが我慢できなくなったから、別れたいと言わ
れてしまうのだ。


  女は利己的で、勝手だ。視野も狭い。坊主が憎いと袈裟まで憎く
なるのはきっと女性だ。一度カカシの身体的特徴が気になりだすと、
今まで平気だったのに、もう嫌なのと言い切るのだから。
  猫背はかまわないくせに、何故そんなふうに思い詰めるのか理解
に苦しむ。

  重いまぶた。
  捉えどころがない雰囲気を醸し出す、どうしても眠そうに見える
カカシのまぶたが。嫌。一度気になったらもうダメ。

 遠回しに文句をいう女は、まだ良い方で、3人にひとりはハッキ
リ言った。


「あなたって、ガチャピンに似てる」
「それは、別れたいって意味?」


  ―――正直、またかと思っただけだ。
 初めて言われたときは、ピンとこなかったが、同じことを言われ
るのが四回めともなるとカカシの経験値はMAXを振り切れてる。
 彼女はあっさり本意を切り込まれたことに、多少たじろいだけれ
ど、すぐに開き直ってみせた。

「そうよ。あなたは別にどこも悪くない。大事にしてくれたし、浮
気もしないし、セックスのときだって優しく扱ってくれた。不満は
なかったわ。ただ、」
「ただ?」
「ガチャピンに似てるの……」

 都合十二人めの恋人の口から発せられた言葉は、その沈鬱な表情
とミスマッチな音で構成されていた。別れ話に似つかわしくない音
の集大成で。

 木の葉の里の早朝のテレビ番組でお馴染みの、アレの名前。聞き
間違えようもなくはっきりとアレな名前。

「どうしてかしら?」
 彼女は泣きそうに呟いて、茶色い巻き毛が肩で揺れた。
「あなたは、どちらかというと、色男よ。顔立ちはすごく上等の部
類なのに。その重たげで眠たげな瞼をじっと見詰めていると私、ガ
チャピンが浮かぶの。そして、無性に不安に駆られてくるのよ」
「不安?」
「このひと、実はわたしに興味がないのかしら。だって――顔がガ
チャピンなんだもの」

 あなたの顔って、何考えてるのか解らないのよ。ガチャピンとは
付き合っていけないわ。哺乳類かも定かでないし、ガチャピンて変
な顔だし。一度そう見えたらダメみたい。――すっかりカカシは人
間の範疇から勝手に除外されている。
 大仰な理由付けをしても、最後は結局、この顔がいやだという話
だった。
 ひどいこと言うなあ。けっこうショックだ。
 たかが、まぶたがひとより重いというだけで。

「……生まれつきだよ?」

 詮無いことだと思いつつ、嘆息混じりにカカシは一応抗弁した。
まぶたが重たいのは生まれつきだ。自分ではどうしようも出来ない
事だ。

「ごめんなさい。でも、もう無理」
「男できた?」 

 否定の返事は返らなかった。
「……あなたほど才能もなくて中忍だけど。性格にムラもあるけど、
ちょっと強引なとこが嬉しいの。必要とされてるって実感があるか
ら」

「オレ、は?」

  溜め息にならなかったのが不思議なくらいに唇から零れでた問い。
 この四カ月、一応恋人として付き合ってた男が、彼女のことをこ
れっぽっちも必要と感じてなかったとでも? 
  まぶたが重くて、間延びした雰囲気に拍車を掛けたからって、恋
人のことをいい加減に思ってるようにしか見えない?
  どうでもよさそう? 見掛けがそういう印象だからって、それと
これとは話が違うじゃないか。
  顔が変って言われて傷つかないとおもってんの。
 カカシはそんな当然の文句を口にする権利がある。あるが、今更
言ったって仕方がない罵倒を、わざわざ浴びせて聞かせる労力をつ
かう気力がない。気概もない。覆水は盆に返らないのだから、その
水を手で掬うのも無意味だ。
  こういう時の処し方は、薄い、と評されるのもまあ当たってる。

「ごめんなさい」
「わかった」

 ――分かった。もういい。
  彼女へ向けての返事でなく、カカシは自分自身へ呟いた。
  だったらもう誰とも付き合わない。この顔を見て、ガチャピンだ
と笑いをこらえる奴が増えたのは、自分から切れていった女達のろ
くでもない置き土産だった。またこんな理不尽な想いをするくらい
なら、もう誰とも付き合わない。付き合ったり、するものかと。



*



 そんな風に三年間頑なに独り身を貫き通し、恋だの愛だのが頑丈
なベールの向こうにしか存在しなくなった頃―――

  およそ、それらの単語と無関係な中忍が、カカシの周囲にあった
ソレを無造作に捲りあげた。


「あれえ、カカシ先生の目って―――」


 任務受付所で、報告書を手渡して、視線があって。
  それだけのことだったのだが。
  でも、またかと。
 その時は内心忸怩たる思いがした。

「オレの目が、目が何ですか? イルカ先生」

 カカシと相対した中忍は、アカデミーの教師でイルカ先生。一介
の上忍から上忍師にスライドしたカカシとは子供を通して面識ある
相手だった。
 鼻傷が特徴の、あとはこれといった印象のない顔。至って凡庸な
容姿だ。年はいくつも違わなくて、とにかく物おじしない変なひと。

「カカシ先生、すっごくまぶたが重いんですねー」

 イルカはボールぺンを右手に掲げたまま、立ってるカカシを見上
げ、呑気にそんなことを言った。
 げんなりしてるのに、顔にでないのが恨めしい。

「…重いです。今更気が付いたんですか」
「いいなあ!」

 返事に被さるようにイルカは、ぱっと相好を崩して笑った。

「は?」
「重たいまぶたは心がやさしい証拠なんですよ。いいなあ。オレ、
昔から大好きなんです、そういうまぶた」

 イルカは宝物を発見した子供のようにキラキラした顔で、邪気な
く言った。どうして重たいまぶたが優しい証拠? いや、その前に、
いいなあって、なにが。まさか――この――カカシの瞼のことか?
「え? あの、イ…」
 なにそれ。
「オレの初恋の相手も瞼がすっごい重たくって。だから笑うと優し
い顔がもっと優しく見えて。大好きだったんですよ。懐かしいなあ」

  他の職員を含めて、8人。少なくはない人数が周囲にいるのに、
なんのてらいもなくそんな話を。
  はきはきした声で、イルカは言う。
 そして言葉通り、カカシの顔で唯一露出してる右目(のまぶた)
に向かってイルカは懐かしそうに微笑みかけた。
 イルカは嘘を吐いたりおべんちゃらを使ってる訳ではない。
 本気で。本気で言ってるのだ。
 カカシの眠たげにしか見えないまぶたを、いいなと。好きなのだ
と。――疑いの余地はなかった。そうイルカに刷り込んだ相手自体
は「もう死んじゃいましたけど」と付け加えられて、信じないわけ
にいかなかった。 
  元よりイルカは、見掛けも能力も凡庸にしか見えない中忍で、性
格も至って真面目。ひとを担いだり騙すタイプではない。

「いいなあ」
「はあ。…いいんですか」

 もう一度、羨ましそうに繰り返されて、カカシは間の抜けた声が
でた。

 いいなあ。――そうか、いいのか。
  そうなのか。
 ふいに、かーっと胸の中に熱いものが渦巻いて、喉の奥までせり
上がってきた。


 同時に耳がぽかぽか発熱して、赤くなるのが自分でもわかった。
 イルカ先生の、ごつごつして少しも柔らかそうでない手が、受理
のハンコを書類に押し付けた。
 いつの間にやら、時間が経過してた。

「はい。結構ですよ、お疲れさまでした」
「……。はあ」
  カカシは妙にそわそわして、目のやり場に困った。
  突然、さっきまで普通程度だったイルカの顔が可愛く見える。

  なんか。
 眩しいし?
 ――目の錯覚だ。

 こういうときいつも浮かんでるイルカ先生の笑顔。それが十割増
しで、何故か眩しく見えた。実際、発光してる筈がないので、カカ
シの見る目が変わっただけだ。――何を?
  ――イルカ先生を?

「えーと。イルカ先生っ」
「はい。何か?」
「オレと、お付き合いをー、ですね。してください」
「いいですよ」
「ええっ!」

 びっくりしたから、取り敢えず逃げた。


*


「カカシさんて、面白いひとですねー」
 イルカはアカデミーの校舎の詰まりやすい2階の雨樋を直しなが
ら、下で待ってるカカシに向かって笑いながら言う。
 それは違う。面白いのは、イルカの方だ。
  おまけに、かなり自分ペースのひとなのではあるまいか。これま
でちっとも気付かなかったけれど。

「それ。イっイルカ先生の方ですよ」
「――くくっ…オレは普通です」
「何で笑ってるんですか?」
「だって。この雨樋、スズメの巣がいっぱい出来てて壮観で」

 見てみませんかと誘われたけど、断った。

「じゃあ、取り除いたら修理終わり?」
「ですね。オレ悪徳立ち退き業者みたいだなあ」

 ごめんなーと宙に向かって言い、イルカは巣材らしい葉っぱだの
ゴミだのを、地面に落としていった。
  今は姿のないスズメに謝る気持ちは有るくせに手に迷いはない。
  イルカ先生はつくづく変なひとだ。

「カカシさん、そこ居たら、塵芥被りますよ?」

 ―――後から言うし。
  イルカは大雑把だ。大らかと言えば聞こえがいいが、やっぱり大
雑把だとカカシは思う。
  あと、ハキハキし過ぎだ。素直に、何だって口にできて、思うよ
うに行動もする。なんら恥じらいはないのが素らしい。
 カカシと違って、言動がしゃっきりしてるし。きびきび動いてバ
リバリと働く。行動の全てに背筋の伸びた音がついてる。子供らを
一日本気で追いかけ回して過ごして、尚且つそのあと残業できてし
まうバイタリティーは恐いくらい。
  物おじしないとは思ったが、しなさ過ぎなのはどうなんだろう。



  ―――あの後。
 付き合って、と言い逃げしたカカシを追いかけてきて。


「カカシさん!! 待って」


 と、突然に叫ばれた。カカシさん。さっきまで、「カカシ先生」
だったのに――。イルカのなかでは、呼び名の切り替えに照れはな
く、今までと違う関係になること承知した時点で、カカシは「カカ
シさん」。あまりにも、躊躇ない。恥じらいがない。
 驚きが混乱を凌駕して、つい逃げる足を止めてしまった。
 イルカは、ガブリと噛み付くのを我慢して、でも結局ひと噛みく
らいはしてしまう犬みたいに唸った。


「なんで逃げるんですか」
「急に逃げたらびっくりする」
「カカシさん。オレ達付き合うんでしょう? だったら決めなきゃ
いけないことあるし、オレが仕事終わるの待っててくださいよ」


 イルカが、至極当たり前の顔で言葉を並べ立てるのを、カカシは
目を見張って受け止める。
  アカデミーに続く廊下が、忍びにあるまじきことだが軋んで音を
立てた。動揺するなという方が無理なのだけれど。


「でもイルカ先生、いいですよって、――なんで?」
「なんで、あっさり頷いちゃうの」
「オレのことなんて。何も知らないのに」


 カカシも対抗して言葉を連ねるが、自分で言ってても何かおかし
い。ああ、この状況も。とにかくおかしい。申し込んだのはこっち
だけれど、でも頷くほうもやっぱり変だ。本気の告白をいなされた
少女になったみたいに、カカシは泣きそうだった。
 カカシの身構えかたは、結局そういうことなのだ。
 今更に、自分が何を言ったか、してしまったのか。自覚が足元か
ら這い上ってくる感覚がしてる。イルカと同時にそれらに追いつか
れて、混乱に拍車をかけた。
  巧く定まらない視線が、イルカの肩の線を辿る。なで肩なカカシ
の細い線とは違う、しっかりと太くて堅いラインだ。真っすぐな背
に繋がる。
 ――よく分からない。イルカが、カカシの揶揄の対象でしかなかっ
たまぶたを褒めてくれて、そしたら途端に、イルカが素敵なひとに
見えて。思わず妙なことを口走ったら、承諾の返事が返ってきて。

 そうだ。思わず口走ったのだ。……付き合って、なんて。
  カカシは誰とも付き合わないと誓っていた筈なのに。

「だって、好みだったし。カカシさん」
「はあ?」
「よく知らないのはお互い様じゃないですか。そういうのはおいお
い知っていけばいいんですよ」

  こともなげに言われてしまった。教師だからかイルカが言うと無
責任な話に不思議と説得力がある。
 頷いたら悪いんですか、と反対に問われて返答に困った。
  そんなことはない。
 だって。
  三年来の誓いがあっさり頭から抜け落ちるくらい、イルカと付き
合いたかったらしいのだ。自分は。
  ―――衝動だけど。

「わるくは、ないですけど…」
「じゃあ問題ないですね。付き合いましょう」

  イルカの言い方はやたら堂々としてる。でも、声色はやさしい。
 まるでイルカ先生に望まれてるみたいな、言葉だった。じわっと
それが胸に拡がって。嬉しかった。顔が熱い。
  そう思った時点で答えはでたも同然なのに。カカシは、目まぐる
しい展開にまだ付いていけてない。
  戸惑って言葉に詰まる。後ろ頭を掻いて、廊下の木目を見た。

「や、あ、…あのー」
「返事はハッキリと。はい!」
「ハイっ」

 イルカの大声に釣られて。勢い頷いていた。 


 ―――で、受付業務が早上がりだからと言ったイルカと待ち合わ
せて終業の鐘にびくびくしていたら、現れたイルカはカカシを引っ
張っていき、雨樋の修理をはじめてしまったのだ。
  拍子抜けした。お付き合いに突入したはずなのに。これではただ
の職場の付き合いだ。

「すみません。待たせてしまって」
「いや、べつに」

 気の抜けた返事に、イルカはちらと一度視線を寄越した。 

「明日雨だってきいたら、これ思い出したんですよね」
「あー…なるほど」

 なんなのかなこれ、とこの状況をまだ疑ってるからカカシの返事
もぼやける。
  落ちてくる屑を避けて、ポケットに手を突っ込んで、立ち位置を
変わりながらイルカを仰ぐと、もうイルカはこちらを見てはいなかっ
た。

「でもカカシさん、お付き合いするなら、やっぱり最初にきめてお
かないといけませんから。待ってくださいね」

 パラパラと塵芥と一緒に、イルカの声も上から降ってきた。

「はあ。何を。…決めるんですか?」
「ああ、どっちが上か下か――」
「ハイ!?」
「えーと。どっちが男役で女役か?」
「いいい、言い換えなくても解りますけどっ。ええっ!?」

 うろたえ切ったカカシに対して、イルカはきょとんと首を傾げる。
 イルカが言った決めておかないといけないコトとは、そんな話だっ
たのか。今話を飲み込んだばかりのカカシに追い打ちを掛けるよう
にイルカは訊ねてきた。

「大事な問題ですよね。カカシさんはどっちがいいですか?」

 どっちがいいも何も。つい2時間前まで、イルカとどうにかなる
なんて考えたことなかった。ましてや、その先なんて。
  するのだろうか。イルカと自分が。セックスを――?

「あ、あの、ちなみにイルカ先生は、どっちが……」
「そりゃあ、オレも男ですから」
「――そう、ですよね……」

 どっちか選べと言われると、やはり自分の性が示す方がいい。
  イルカのもっともな返答にカカシは項垂れた。
 もともと男好きだったり経験があるわけでもないし。でも、それ
はイルカだってそうなのだろう。どちらかが折れることになる。
 カカシの性嗜好はノーマルで、男と付き合う自分を想像したこと
がなかった。その状況に陥ってる現時点ですら、実感も先のイメー
ジも浮かばなかった。
 イルカを相手に身体を結ぶ、と取り敢えず考えるところから始め
てみる。

 ――イルカは見た目、中肉中背だ。細身の自分よりは多少太いか
なと思うが。見たところ身長もカカシと変わらない。男の身体は骨
張って節ばって、肌は硬い。女の肢体ように、指先で沈む柔らかさ
はきっとない。忍びの身体は鍛練で基本的に締まってるものだから、
イルカの裸も結局自分と大差はない筈だ。あきらかに違うのは匂い
くらいだろう。 

  いい匂いは、べつにしないに決まってるよな。
 女じゃないんだから。
  汗と、あとはイルカ自身の体臭。
 ―――イルカの、匂い。
  ためしに想像してみただけなのに、それだけでカカシは、かあっ
と頭に血が上った。  


 「男」と寝るんじゃないんだ。「イルカ」と寝るんだ。このひと
が相手なんだ。
  イルカは自分とは対極の位置にいるひとで、よくわからない性格
で、見た目もぱっとしない。おまけに同じものがあそこについてる。
  なのに、カカシは少し興奮した。
  幻滅とか萎えるとか、きっと感じると思ったそういった要素が想
像のなかには現れず。走って追いかけてきた時の、体温の上がった
イルカから無意識に拾い上げていた匂いを使って、違うものを脳裏
に描いた。
  やばい。普通にできそう。
 ―――抵抗がまるでない。

  イルカもそうなのだろうか。自分でそういう話を振るくらいだし、
だったらおそらく、きっと。
 そうに違いない。
  イルカが自分を、そういう対象に見てる。
  
  付き合ってるんだから当然だ。
 いいなあ、と笑ってくれた、表情が目に灼き付いてる。
 恋人になったんだ、このひとと。
  ああ、そうか。――そうなのか。
  同じことをまた思った。
  くり返して。ようやく自分は納得できたらしい。
  さっきまでなかった実感が、全身に拡がった。指先まで身体の全
部にいきわたった。沸騰しそう。
  ―――なんなのかなって首を傾げていたのが嘘みたいに。


「ええと、イっイルカせんせい!」
「はい?」
「オレも、あの、オレも…っ」
「え?」
「上がいいです。抱きたいですっ。イルカ先生のこと」
 
 
  カカシは焦って口早に告げた。恥ずかしい。でも正直な気持ちだ。
  もしもイルカと身体を繋ぐなら、抱きたい。自分のなかの欲求は、
イルカ先生を押し倒してみたい、という具体的なソレだった。
  嫌がられるかな。
 別に早いものがちで決まることじゃないと思うが、イルカが先に
希望を述べたので、後から言うのは少し後ろめたい。だって明確に
なったのはたった今だ。それまではまったくそんなこと考えもしな
かったのだ。
  ためらいなく言ったイルカより、態度で負けてる。
  ちょっと狡いかと負い目を感じて、ダメって言われるかなとビク
ビクした。拒否されたらカカシが抱かれる側になるのだろうか。絶
対にいやって訳じゃないけど、それはまた未知の境地すぎて、イメ
ージ可能な範囲を越えている。
  イルカは顎に指の節を当てしばらく考えこんでから、
「いいですよ」
  目を見て、あっさり承諾した。
「いいんですか…? え。でも、あれ…」
「したいんでしょう?」
「はい」
「だったらいいですよ。どーしてもダメそうだったら変わってほし
いけど。まあ、多分大丈夫だろうし」

 慣らせば入るって言いますしね。
  ぱっぱと汚れた手を払って、携帯工具を仕舞いながら言う。
「でも、先生…っ」
「オレはカカシさんがいいほうで構いませんよ。土壇場で揉めるの
いやだし。それ以前にカカシさん、その気になれそうにないから手
でって言うのかなと思ってました。したいのなら、いいです。それ
でいきましょう」
  ね、と謳うイルカは楽しそうだ。
 余りにさっぱり、サバサバした台詞に、喜びよりも不安が募る。
カカシは酷く動揺した。もしかして、イルカは男と付き合ったこと
があるのだろうか。

「イ、イルカ先生、男としたこと」 
「経験ないですよ? あるわけないじゃないですか。オレに声かけ
る物好きはカカシさんくらいです」
「……じゃ、なんでそんなに捌けてるんですか」
「普通でしょ」

 イルカはくくくっと笑って、地に降り立ったけれど、カカシはま
た泣きそうだと思った。
  イルカ先生は変わってる。全然普通じゃない。
  でも、好きなひとだ。
  理由も理屈もわからないけれど。



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